損保ジャパンこと損害保険ジャパンの代表取締役社長であった、白川儀一さん。
実は、ずっと損保ジャパンにいたわけでなく、一時期抜けていた時期もあるんです。
今回は、白川儀一さんの経歴などについて調査してみました!
白川儀一(損保ジャパン元社長)の経歴が異色!

一騒動あり、2023年9月に辞任することになってしまいましたが、2022年から1年以上損保ジャパン社長として仕事していたみたいです。
白川儀一さんの簡単なプロフィールは、こちら。
- 名前:白川儀一(しらかわ ぎいち)
- 生年月日:1970年8月19日(2023年9月現在53歳)
- 出身:北海道北見市
- 肩書:元SOMPOホールディングスの国内損害保険事業オーナー執行役・元損保ジャパン代表取締役社長社長執行役員
- 特技:ソフトテニス全国レベル
北海道出身の白川儀一さんは、小学生の頃からソフトテニスに熱中し、全国レベルになるほどの実力の持ち主。
大学まで続けるも、そのままプロにはならず、損保ジャパンの前身である安田火災海上保険に入社。
ちょっと経歴を見てみましょう。
- 1993年(22歳頃):損保ジャパンの前身の会社に入社
- 2003年(32歳頃):ソフトテニスのプロになるために退職
- 2005年(34歳頃):怪我によりソフトテニスを断念し、損保ジャパンに復帰
- 2019~2021年(49~51歳頃):執行役員・取締役を歴任し出世街道まっしぐら
- 2022年(52歳頃):37人の上司を抜いて損保ジャパン社長に
- 2023年(53歳頃):損保ジャパン社長辞任
なんと、一度諦めたソフトテニスの道を諦めきれず、地元北海道の北見市役所の実業団チームに入ることに。
当時は・・・

復帰するつもりは一切、なかった。
『ダメだったらその時に考えよう』という気持ちだった
と、何とかなるさの精神だったそう。
そして、なかなかうまくいかないもので、ソフトテニスの道をケガで断念・・・
損保ジャパン時代の先輩に誘われ、再び復帰したんだとか。
北見市役所に残ることもできたそうですが・・・



大企業にいると見えないことに気付かされた。顧客に寄り添う視点を強く意識できるようになった
と外の経験を損保ジャパンに活かしたいということで、再就職したそう。
そんな経歴を持っているので、出戻り組には、好きな会社であるならば戻ってきてほしいという思いがあるようですね。
出戻ってからは、業務に邁進し、出世街道まっしぐら。
人望も厚く、人から信頼され、役員37人をごぼう抜きして社長に抜擢されたそうです。
ソフトテニスの情熱を仕事に向けた結果、とても大きな成果が出たみたいですね。
白川儀一(損保ジャパン元社長)の学歴はエリート!


- 高校:北海道立北見北斗高等学校(偏差値60)
- 大学:立命館大学産業社会学部(偏差値55)
詳しくみていきましょう。
高校:北海道立北見北斗高等学校(偏差値60)


白川儀一さんが熱中したソフトテニスも強豪だそうですから、もしかしたら部活のために入学したのかも。
結構自由な高校なようで、サボれば地獄・頑張れば天国といった感じのようですね。
ずば抜けて頭のいい奴もいれば、赤点常習犯もいる。
部活に熱心な奴もいれば、何かと理由をつけて辞める奴もいる。
やるかやらないか
勉強や部活それぞれ頑張っている奴がいるイメージ
大学:立命館大学産業社会学部(偏差値55)


勉強も部活も頑張ったんでしょうね。
あるいは、スポーツ推薦かもしれません。
立命館といえば、関西の名門!
そこから損保ジャパンですから、エリートですね。
白川儀一(損保ジャパン元社長)の年収は納得の億超え!


超大手企業の社長ですし、金融業界は給料が高いイメージがあるので納得といったところでしょうか?
平均して執行役員報酬が一億前後なので、もしかしたら1億円以上もらっていたかもしれませんね。
まとめ
白川儀一さんの経歴は、こんな感じでした。
- 1993年(22歳頃):損保ジャパンの前身の会社に入社
- 2003年(32歳頃):ソフトテニスのプロになるために退職
- 2005年(34歳頃):怪我によりソフトテニスを断念し、損保ジャパンに復帰
- 2019~2021年(49~51歳頃):執行役員・取締役を歴任し出世街道まっしぐら
- 2022年(52歳頃):37人の上司を抜いて損保ジャパン社長に
- 2023年(53歳頃):損保ジャパン社長辞任
また、学歴はこんな感じ。
- 高校:北海道立北見北斗高等学校(偏差値60)
- 大学:立命館大学産業社会学部(偏差値55)
年収は、1億円前後はもらっていたと思われますね。
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